2013年8月31日土曜日

タララ Tarara について

演奏した曲たちの紹介、その6です。

LA TARARA

La Tarara, si,
la tarara, no,
la Tarara, nina,
que la he visto yo.

Lleva la Tarara
un vestido verde
lleno de volantes
y de cascabeles.

Luce mi Tarara
sus colas de seda
sobre las retamas
y la hierbabuena.

Ay, Tarara loca.
Mueve, la cintura
para los muchachos
de las aceitunas


タララ

ああ、タララ
ああ、タララ
ああ、タララ、かわいい子
わたしは見ていたよ

わたしのタララ
緑色のふりふり
フラメンコドレスで
鈴をいっぱいつけている

わたしのタララ
ポニーテールを輝かせ
エニシダと
ミントの野原にいる

ああ、タララ 狂ったように
腰ふり踊る
オリーブを摘む
少年たちに


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この曲、歌詞は他愛も無い感じなのに、メロディーがなんか暗く悲しげなので、ちょっと戸惑うのです。
最初聞いたとき、ロシアの民謡かと思いました(偏見かなあ)。

下記の楽譜は、私がコードアレンジして簡単に書き換えたものです。
(本番では別のコードアレンジにしたので、実際この進行で演奏してないですが。)


あと、この少女がどれくらいの年齢か、とかも気になります。
最初ほんの子供かと思ってたのですが…、もしかしたら結構色気づいてきている年頃なのか?

そして、この少女の後の悲しい運命を想像するのは…、やっぱり考えすぎですかね。

2013年8月27日火曜日

ちいさな巡礼者たち Los Peregrinitos について

演奏した曲たちの紹介、ええと5つ目かな…。
 

LOS PEREGRINITOS

Hacia Roma caminan
dos peregrinitos,
a que los case el Papa,mamita,
porque son primos,niña bonita,
porque son primos,niña.

Sombrerito de hule
lleva el mozuelo
y la peregrinita,mamita,
de terciopelo,niña bonita,
de terciopelo,niña.

Al pasar por el puente
de la Victoria,
tropezó la madrina,mamita,
cayó la novia,niña bonita,
cayó la novia,niña.

Han llegado a Palacio,
suben arriba,
y en la sala del Papamamita,
los desaniman,niña bonita,
los desaniman,niña.

Les ha preguntado el Papa
cómo se llaman.
El le dice que Pedromamita,
y ella que Ana,niña bonita,
y ella que Ana,niña.

Le ha preguntado el Papa
que que' edad tienen.
Ella dice que quince,mamita,
y él diecisiete,niña bonita,
y él diecisiete,niña.

Le ha preguntado el Papa
de dónde eran.
Ella dice de Cabra,mamita,
y él de Antequera,niña bonita,
y él de Antequera,niña.

Le ha preguntado el Papa
que si han pecado.
El le dice que un beso,mamita,
que le había dado,niña bonita,
que le había dado,niña.

Y la peregrinita,
que es vergonzosa,
se le ha puesto la cara,mamita,
como una rosa,niña bonita,
como una rosa,niña.

Y ha respondido el Papa
desde su cuarto:
?Quie'n fuera peregrino,mamita,
para otro tanto,niña bonita,
para otro tanto,niña!

Las campanas de Roma
ya repicaron
porque los peregrinos,mamita,
ya se casaron,niña bonita,
ya se casaron,niña.


ちいさな巡礼者たち

ローマへの道を
歩いてゆく2人の巡礼者。
ローマ法王に結婚を許してもらいに
なぜなら彼らはいとこ同士だから

油布の帽子を
若者はかぶっている
ビロードの帽子を
娘はかぶっている

彼らが『勝利の橋』を
渡っているとき
名づけの母親はうろたえ
花嫁は崩折れていた

彼らは宮殿に着いた
階段を上った
そして法王の広間にて
彼らは試された

法王は彼らに
名前を尋ねる
彼はペドロだと言う
彼女はアナだと言う

法王は彼らに
年齢を尋ねる
彼女は15歳だと言う
彼は17歳だと言う

法王は彼らに
どこから来たか尋ねる
彼女はカブラだと言う
彼はアンテケラだと言う

法王は彼らに
罪を犯したかと尋ねる
彼は、彼女にキスをした
と言う

するとちいさな巡礼の娘は
恥ずかしがりやなので
真っ赤になる
バラの花みたいに

そして法王は彼の部屋から
返答をする
「こんな巡礼がいるなんて!
 わしも巡礼になりたいよ」

ローマの鐘々は
すでに鳴りはじめている
なぜなら巡礼者たちが
結婚したのだから


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*マミータ、とかボニータ、とかは訳出してません。掛け声のようなものだと思うので。
*題名のPeregrinitosですが、これCDにはPelegrinitosと表記してあって、あとネット上で見つけた譜面の表記もPelegrinitosだったのですが、カルメンさんによるとPeregrinitosが正しいようで、よく分からないです。ただの誤植なのか?、それとも何か由来があってのことなのか?。ちなみに英語でのPilgrimに該当する言葉 Peregrinosの変化形のようです。

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なんだか不思議にもやもやする曲です
何がもやもやするかというと、それはいとこ同士、だからでしょうか。

いとこ婚が社会的にどうか、というのは時代と地域によっていろいろだと思うのですが、さて当時のスペインではどうだったのか。 今のスペインでは、「まあ、あまり普通じゃないわね」とカルメンさんが言ってたので、たぶん日本と同じ感覚なのだろうと思います。
日本でもめったにないですよね。私も個人的には、両親がいとこ同士という人を1人知っているだけです。

そして、いとこ婚を許してもらいに、法王さまの所に行くという。
何というか、そのシチュエーションだけで、イメージは日本から遠く離れて飛んでゆきます。


なんだか、もやもやして、だからこそ面白いと思うのです。



2013年8月24日土曜日

18世紀のセビーリャナス SEVILLANAS DEL SIGLO ⅩⅧ について

演奏した曲たちの紹介。その4です。

やたらビバ・セビリア!と歌ってますが、この場合のセビリアは地名としてのセビリアというより、セビリア地方の歌や踊りやなんかを指すそうです。



SEVILLANAS DEL SIGLO ⅩⅧ

¡Viva Sevilla!
Llevan las sevillanas
en la mantilla
un letrero que dice:
¡Viva Sevilla!

¡Viva Triana!
¡Vivan los trianeros,
los de Triana!
¡Vivan los sevillanos
y sevillanas!

Lo traigo andado:
la Macarena y todo
lo traigo andado;
la Macarena y todo
lo traigo andado.

Lo traigo andado:
cara como la tuya
no la he encontrado;
la Macarena y todo
lo traigo andado.

¡Qué bien pareces!
Ay río de Sevilla,
¡qué bien pareces!
Ay río de Sevilla,
¡qué bien pareces!

¡Qué bien pareces!
lleno de velas blances
y ramas verdes,
Ay río de Sevilla,
¡qué bien pareces!

¡Viva Sevilla!
¡Viva Sevilla!



18世紀のセビリャーナス

ビバ セビーリャ!
セビーリャ娘たちはみんな
マンティラを羽織ってる
それはこういうことさ
ビバ セビーリャ!

ビバ トリアナ!
ビバ トリアナの人たち!
トリアナの人たち!
ビバ セビーリャ男たち
それにセビーリャ女たち!

いろんな所に歩いて行ったよ
マカレナの教会とか、すべての所に
いろんな所に行ったよ
マカレナの教会とか、すべての所に
いろんな所に行ったよ

いろんな所に行ったよ
けど、見たことが無い
あなたみたいな人は
マカレナの教会とか、すべての所
すべての所に行ったよ

なんて美しいんだろう!
ああ、セビーリャの川は
なんて美しいんだろう!
ああ、セビーリャの川は
なんて美しいんだろう!

なんて美しいんだろう!
ロウソクみたいに白いヨットの帆でいっぱい
緑の繁る頃
なんて美しいんだろう!

ビバ セビーリャ!
ビバ セビーリャ!


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おおらかで、あんまり裏がないです。

セビリアの川とか、マカレナ教会とか、検索してみると何だか 行ってみたくなりますね。

この曲、実は練習でかなり苦労しました。
簡単な構造なんですけど、簡単だからってワンコードで即興を広げようとすると、
「それじゃ踊れないわ」とカルメンさんに言われてしまう。
どうも、曲の構造のフォーマットは守らんといかんらしい。
となるとテンションと代理コードでふくらましながら、守るところは守って、
かつ元曲の雰囲気は残そう、というバランスのとりかたが難しかったのです。



2013年8月21日水曜日

ライブ無事終了


18日のライブ、ばたばたと準備して、どうなることかと思っていましたが、無事終了しました。
来てくださった方々、ありがとうございました。

また、ゲスト参加してくれたWilliamさん、ばやんさん、それに受付をしてくれたリエさん、録音してくれた松永さん、ティオペペのマヌエルさんも、ありがとうございました。お疲れ様でした。

ばたばたしてたので写真撮ってないです。料理とかも美味しそうだったのに。撮っとけばよかった。
誰か撮ってる人がいたら写真くださるとうれしいです。

今回カルメンさんと練習、本番を経て思ったのは、本番でのテンションの上がり方がすごい、ということでしょうか。
ホップ、ステップ、ジャンプではなく、小ホップ、小ホップ、いきなり大ジャンプ、という感じ。
予想してたはずなのに予想よりワイルドな現場にあわあわしてしまいました。

まあ、ともあれ、おおむねお客さんに喜んでもらえたようで、何よりです。

後ろの方の音が聞き取りづらかったなどの問題点を指摘されましたが、対応できるところは、機会があれば、直してゆきたいと思います。



あとで気がついたのですが、ライブ翌日の8月19日はガルシア・ロルカさんの命日だったようです。
(彼は38歳でファランヘ党によって銃殺されています。)
何かのご縁、というほどの一致ではないですが、ちょっと彼の人生に思いをはせました。
そのうち、彼についてもうすこし書きたいと思います。

演奏した曲たちについても、ぼちぼちと、まだつづってゆきたいと思ってますので、時々ちらとこのブログを見ていただけたら幸いです。

2013年8月15日木曜日

ハエンのムーア娘たち Las Morillas De Jaén について

演奏する曲たちの紹介第3弾です。


LAS MORILLAS DE JAÉN

Tres morillas me enamoran
en Jaén:
Axa y Fátima y Marién.
Tres morillas tan garridas
iban a cogar olivas,
en Jaén:
Axa y Fátima y Marién.
Y hallábanlas cogidas
y tornaban desmaidas
y las colores perdidas
en Jaén:
Axa y Fátima y Marien.

Tres morillas tan lozanas,
tres morillas tan lozanas
iban a coger manzanas
a Jaén:
Axa y Fátima y Marien
Díjeles ─¿Quién sois, señoras,
de mi vida robadoras?
─ Cristianas que éramos moras
en Jaén
Axa y Fátima y Marien.
Tres morillas me enamoran
en Jaén:
Axa y Fátima y Marién.



ハエンのムーア娘たち  ~15世紀の民謡

3人のちいさなムーア娘たちが私を誘惑した
ハエンで
アクサ、ファティマ、そしてマリエン
3人の可愛いムーア娘たちは
オリーブの実を摘みに行こうとしていたが
もう摘まれていることに気がついた
アクサ、ファティマ、そしてマリエン
もう摘まれていることに気がついた
彼女たちは泣きながら引き返した
青ざめた顔をして
ハエンで
アクサ、ファティマ、そしてマリエン

3人の元気なムーア娘たちは
3人の元気なムーア娘たちは
リンゴの実を摘みにいこうとしていた
ハエンで
アクサ、ファティマ、そしてマリエン
私は彼女たちに言った「君たちは誰?、お嬢さんたち
私から命を奪うの?」
「わたしたち、ハエンのキリスト教徒よ。
前はムーア人だったけど」
アクサ、ファティマ、そしてマリエン
3人のちいさなムーア娘たちが私を誘惑した
ハエンで
アクサ、ファティマ、そしてマリエン

 (*ハエン…アンダルシアの地名 ムーア人…北アフリカのイスラム人)



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この詩は何かちょっと謎が多いです。

ただのナンパ歌ととることも出来なくはないのですけど、ディテールが結構シビアなものを連想させるので。
あと、メロディーが何だかすごく切ない感じです。

何でオリーブは摘まれていたのか。
アクサ、ファティマ、マリエンって誰なのか
第2連で「私から命を奪う」と訳した所、これはもっと単純にホレた、という意味にとるべきか、あるいは…?


夕顔でスペインを回ったとき、空いた時間でアルハンブラ宮殿の見物に行きました。
アルハンブラ宮殿がどういうものか全然知らなかったのですが、建物じゅう何だかやたら細かい模様がいっぱいありました。
「何だこれは、この空いたスペースをすべて飾り模様で埋め尽くそうとする妙な情熱は。」
と思っていたら、それはイスラム美術だ、と説明を受けました。
何でイスラム美術が?、と思ったら、つまりこのあたりは、昔イスラムだったのが、キリスト教に取って代わられた、だから両方の建築様式が見られるのだ。ということでした。

ほぼ無宗教である現代日本人の私にはあまりよく分からないのですが、しかしおそらく、宗教を変えるよう迫られたり、追い出されたりした民族の葛藤のようなものがあるのでは、と憶測してしまいます。

そうなると、オリーブはイスラムの、リンゴはキリスト教の暗喩かなあ、とか思えてきて、さらに考えてしまうのです。




2013年8月11日日曜日

アンダ・ハレオ ANDA JALEO について

演奏する曲たちの紹介、第2弾です。

ANDA JALEO

Yo me arrimé a un pino verde
por ver si la divisaba
y sólo divisé el polvo
del coche que la llevaba.

¡Anda, jaleo,jaleo!
Ya se acabó el alboroto
y wamosal tiroteo.

No salgas,paloma, al campo,
mira que soy cazador,
y si te tiro y te mato
para mí será el dolor,
para mí será el quebranto.

¡Anda, jaleo,jaleo!
Ya se acabó el alboroto
y vamos al tiroteo.

Por la calle de los Muros
han matado una paloma
Yo cortaré con mis manos
las flores de su corona.

¡Anda, jaleo,jaleo!
Ya se acabó el alboroto
y wamosal tiroteo.


アンダ・ハレオ (さあ皆 笑え 手をたたけ)

俺は緑の松の木の近くまで行ってみた
彼女をひとめ見ることが出来るだろうかと思って
だが見ることが出来たのは土煙だけだった
彼女の乗った車のたてた土煙

さあ皆 笑え 手をたたけ
大騒ぎはやっちまった
射撃の時間だ。

野原に出てくるなよ、俺の小鳩ちゃん
俺がハンターだってことを忘れるな
そして、もし俺がおまえを撃って殺してしまったら
俺は悲嘆にくれるだろう
俺は苦しみもだえるだろう

さあ皆 笑え 手をたたけ
大騒ぎはやっちまった
射撃の時間だ。

ムーロ・ストリートを下ったところで
1羽の鳩が殺された。
俺はこの手で花を摘むだろう
彼女の花冠のために

さあ皆 笑え 手をたたけ
大騒ぎはやっちまった
射撃の時間だ。


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*ムーロ・ストリートの「ムーロ」はたぶん「壁」という意味だと思います。

ソロンゴの時と同じくCD解説英文からの翻訳です。
かなり意訳がはいってるかと思います。スペイン語できないのがもどかしいです。

あと例によって、日本語の一人称を何にするか、という問題はけっこう悩ましいです。
これ、「私」だとだいぶテイストが変わりますよね。


こういうシンプルに暴力的(?)な詩が、民衆の愛唱歌というのも何となく不思議な気がします。
いや、そうでもないかな…。しかし、すくなくても日本にはこういうのはあまり無いと思うのです。


ロルカさんの戯曲『血の婚礼』を読んだとき、この詩がまず思い浮かびました。
(すいません、演劇生活長いのですが、未読でした…。今回の企画がはじまってから読みましたのです。)
この世界観が、ロルカさんの戯曲世界のもとになったのではないかなあ、と。





2013年8月8日木曜日

From Carmen

カルメンさんが、この企画のために文章を書いてくれました。
以下に掲載します。


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Blog piano-flamenco-jazz. Carmen Alvarez canta y baila a Lorca y Granada  acompañada del piano de Ikeda Ippei.

Este proyecto surge despues de mi colaboración como bailoara de fusión con el grupo de Kyoto-Japón Yugao. En mi primer viaje a Japón en el año 2010 encontre con ellos, y me cautivaron, tanto su música como sus personalidades.  Casi cada dia escuchaba la música de Yugao; Shakuhachi, Piano, Chello y en el segundo C.D Tablas indias. Me parecia una fusión tan original que por supuesto tenia que bailar con ellos, y me prepare en mi cueva en Monachil-Sierra Nevada algunos bailes con musica originales de Koichi y Yugao y otras versiones  En mi segundo y tercer viaje los años siguiente a Japón forme parte como bailaora junto a estos excelentes musicos y artistas. Fue todo un privilegio y  una experiencia inolvidable. Les propuse organizarles una gira de conciertos por la ciudad de Granada, y asi hice, y asi ellos vinieron a seguir la colaboración conmigo, y tener la experiencia de ver como el público de Granada reaccionaba ante ellosFue un éxito total, tanto los mienbros del grupo Yugao como el público granadino quedaron encantados de la experiencia. Japón y ESpaña se unian en la noche Hispano Japonesa en la Sala la Chistera de Monachil-Pueblo, donde exposicion de Tauromaquia, Taller de elaboracion de Sushi, Taller del Kimono y otros eventos relacionados, le daban a la noche musical de Yugao una mágia absoluta Otra actuacion a resaltar seria en La Casa con Libros en la Zubia donde a la vez que se escuchaba el Shakuhachi se podia ver la realizacion de la caligrafia en directo del Haiku que recitaba en japones Ikeda Ippei. Tambien tuvieron una noche dentro del festival de Jazz de GRanada, empezando ellos el cartel en el club de Jazz El Picaro en la cuidad de Granada. 

El verano pasado ( 2012) el grupo Yugao parecia en un proseso de disolución debido a que el miembro principal, Koichi con el shakuhachi, viajaba a Europa para seguir su trayectoria como solista.  Esto me hizo pensar en las posibilidades de seguir en contacto con ellos pero esta vez con el Piano de Ikeda Ippei, pianista del grupo, y compositor junto con Koichi Yoshida de las música de Yugao. Viajando desde Nagoya, de ver a mi buena y ya veterana amiga flamenca japonesa Yukiyo ¿ san, hasta Tokio pasando por el monte Fuyi por primera vez- Fuyi san- me vino una idea a la cabezita loca mia....¿ Por qué no le porpongo a Ikeda hacer lo que hicieron Garcia Lorca ( Poeta, Dramaturgo, musico, pintor, director del grupo de teatro la Barraca...) y la Argentinita, ( cantaora y bailaora) con las canciones populares andaluzas ??? ..Fue una idea fugaz pero me sorprendio tenerla y tenerla en presencia de Fuji san aun mas, entonces rapidamente cogi mi blog de notas y apunte la idea pero no le dije nada a Ikeda hasta mi proximo viaje a Japón en 2013, solo a veces en casuales emails le comentaba que estaba empezando a cantar flamenco y que me gustaria cantar con su piano y que tenia ideas para realizar juntos. Ikeda tan amable, y artista curioso del mundo, me dijo que esperaba mi visita y mi porpuesta.  Nada mas llegar a Kyoto fui a visitar a Ikeda a su casa y le parecio buena idea y asi empezamos este proyecto. 

Ikeda traduce las letras de las canciones a su idioma- Nihongo- para poder entender mejor de que trata cada tema de cada canción, y visualizar e imaginar escenas ( como buen director y actor que es él ),  dandole a la música y a su forma de tocar el piano un caracter personal y porpio a cada cancion.
Yo por mi parte intento darle a cada canción, con la voz y el cuerpo, un caracter popular andaluz, imaginando escenas propias de mi tierra, como son el cielo azul, el sol y la sal, la sequedad de las montañas y los valles de olivos, las gentes alegres y tristes segun les venga el dia, espontaneos y libres sin mas.

Para mi lo mas interesante de este encuentro vuelve a ser la unión y contradicción; la disciplina y el talento de un músico pianista japones como es Ikeda Ippei con caracter de clasico, jazzista y fusión,  junto con una flamenca aventurera y libre en su expresión y pasión, esta mezcla le da al espectaculo una originalidad y alegria que llega sin duda a cada corazón del publico presente. 
En nuestra primera muestra de canciones populares andaluzas interpretada por el piano del japones Ikeda Ippei y la bailaora andaluza Carmen, contamos con la colaboracion de nuestros amigos del grupo Yugao, William con el Chello y Bayan con la percsion.
Un placer total para mi volver a formar parte de este elenco de buenos artistas. Gracias.

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以下、訳文です。
(マヌエルさんが日本語訳してくれた文を池田が手直ししたものです。)



あたしは、京都の「夕顔」というバンドとコラボレーションで踊ってから、このプロジェクトをはじめました。
2010年に初めて日本に来て夕顔の音楽に出会い、その音楽と個性をすぐに気に入りました。ほとんど毎日あたしは家で「夕顔」の音楽を聴きました、…尺八とピアノとチェロ、それにセカンドのCDではタブラ。
これは面白くいろいろなスタイルを混ぜている音楽だ。そうあたしは思って、彼らの音楽で踊りたくなりました。そしてスペインのMonachil(モナチル)という村にある私のダンススタジオ用の洞窟で、「夕顔」の音楽のためのダンスを考えました。(*訳注 1)

また次の年、日本への2度目と3度目の滞在のときに、あたしは「夕顔」のすばらしい音楽と共に踊らせてもらいました。それは本当に楽しく忘れられない経験になりました。
スペインのグラナダに帰ったら夕顔の音楽をスペイン人の客様に紹介したいと思ったので、彼らを呼んで、一緒にスペインで初めてツアーをしました。
それは大成功でした。グラナダの人たちは新しい体験に完全に満足してました。また、モナチル村のLa Chistera (ラチステラ)というイヴェントスペースでは、"Hipano Japonesa"というイベントに200人以上の人々が訪れ、タウロマキア(闘牛)の絵の展覧会や、寿司作りワークショップや、着物の着付け教室と共に行われた夕顔の音楽にうっとりとしていました。
他にも、La Zubia(ラズビア)という村のLa casa con librosという店では、公一さんが尺八を吹いている横で池田さんが俳句を朗読し、カーチャさんが俳句を書道で表現するということをやりました。
そしてさらに重要なのはグラナダのジャズフェスティバルの夜です。夕顔はEl Picaroというジャズクラブでの最初の演奏を行ったのです。

2012年去年の夏、夕顔の公一さんがひとりヨーロッパへ向かってから、夕顔は解散になりました。(*訳注 2)
あたしは彼らとのつながりを失いたくないと思ったので、夕顔のピアニストであり作曲もする重要メンバーである池田さんに連絡しました。

名古屋で日本人フラメンコダンサーの仲間ユキヨさんと会った後、ひとり東京に向かっている時に富士山を見ながら、あたしはひとつのアイデアをひらめきました。フェデリコ・ガルシーア・ロルカ(詩人、戯曲家、音楽家、画家、劇団主催者...)とラ・アルゼンチニタ(歌手・ダンサー)のように私達も共同すればどう?
この富士山の前での一瞬の考えにあたしはびっくりしたのですが、すぐにノートに書き留めておきました。でもあたしは池田さんには次に2013年に日本に行くまでほとんど何も言いませんでした。ただ、たまたまEメールしたときに、フラメンコを歌い始めたこと、2人でやるいいアイデアがあることを伝えました。
池田さんはいつも通り親切で好奇心をもっていて、また会ったときにあたしのアイデアを聞くのを待っていると答えてくれました。
そして京都に着き数日して池田さんを訪問し話し合って、彼もその考えを気に入ってくれました。
こうしてこのプロジェクトが生まれました。

池田さんは意味が詳しく分かるように歌の言葉を日本語に翻訳して、優秀な俳優と監督の目で歌のテーマを想像します。すると、彼の音楽もピアノの弾き方も独特の個性を持ちます。
また一方で、あたしは声と体でそれぞれの歌に、アンダルシアの性格を与えてみます。青空や太陽や塩、乾燥した山やオリーブの木だらけの谷で、笑ったり悲しんだりして生活が続いている人々、地元の景色とかを思い出しながら演じてその全ての感じをオーディエンスに伝えてみます。

あたしにとってこの企画の面白いと思えるところは、個性的なクラシック-ジャズ-フュージョン日本人ピアニストと、情熱と自由をもったフラメンコダンサー・シンガーが一緒に表現するという矛盾です。これはすばらしい文化のミックスになってると思います。見たことがないようなこの組み合わせは、お客様の心を打つことになるでしょう。
あたしが歌って池田さんがピアノ弾くアンダルシア伝統の曲。そして、今回は夕顔のウイリアムさん(チェロ)とバヤンさん(パーカッション)もゲスト参加します!、非常に楽しみです。

宜しくお願い致します。


カルメン



(*訳注 1 このブログの背景写真がカルメンさんの洞窟の写真です。日本の洞窟のイメージみたいに、奥にずんずん伸びてるようなものではなく、白い岩山を、1部屋分だけくりぬいたようなものです。)

(*訳注 2 夕顔は解散してませんよっ!、活動休止してるだけです。来年4月はたぶんまたライブやると思います。)

 


2013年8月7日水曜日

ソロンゴ Zorongo について

演奏する曲たちについて紹介してゆきたいと思います。
どの曲から紹介するかちょっと迷ったのですが、まあ最初に練習を始めた曲からにしようかと。
あまり理由はないのですが。

『 ソロンゴ Zorongo 』、これはフラメンコダンス教室なんかでも時々やる曲のようです。カルメンさんも、「うちのフラメンコ教室でもやるのよ。」 と言ってました。

もちろん私は何もしらなかったので、ぼんやりと「うーん、ウルトラマンの怪獣のような名前だ。」と思っていました。(…気に障ったら、すいません。)


やってみたら、内容は、怪獣などでは全然なくて、とても美しいものでした。

以下歌詞と訳文を載せます。



ZORONGO GITANO

Tengo los ojos azules,
tengo los ojos azules,
y el corazoncito igual
que la cresta de la lumbre.

De noche me salgo al patio
y me jarto de llorar
de ver que te quero tanto
y tú no me quieres ná

Esta gitana está loca,
loca que la van a atar,
que lo que sueña de noche
quiere que sea verdad.


ジプシーのソロンゴ

わたしの眼は青い
わたしの眼は青い
そしてわたしの心は
炎のさきっぽのよう

夜中にわたしは裏庭に出る
そして心臓が張り裂けるほどに泣く
なぜならあなたをこんなに愛してるのに
あなたはわたしを全然愛してないから

このジプシー女は狂っている
あんなに狂っていては、きっと縛られてしまうぞ
夜ごと夢見るそのすべてを
彼女は現実にしたいのだ






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日本語訳は主にCDについていた歌詞カードの英訳文から訳したものです。
(ただし3連目の内容は、意訳になっていたのを直訳にちかいと思われるように直しました。)
ロルカ・アルヘンティニータ版では、この3連の詩だけを歌ってます。

しかし、ええとですね、この詩は実はまだ他の部分があって、ネットで検索するといろいろ出てきます。
これとか、これとか。

特に


La luna es un pozo chico
las flores no valen nada;
lo que valen son tus brazos
cuando de noche me abrazas.

月は小さな井戸のよう
花は何の価値もない
価値があるのはただあなたの腕
夜に、わたしを抱くときの



はかなり重要なフレーズで、たぶんロルカさん、アルヘンティニータさん達は、わざとその歌詞の部分を歌ではなくカスタネットで表現するという手法をとっているのではないかと思われます。


 

あと、そもそも「ソロンゴ」ってどういう意味さ、という疑問もあるのですが、これカルメンさんに直接聞いてみても、「うーん、ソロンゴはソロンゴよ。」、という漠然とした返事だったので実はよくわからないです。
このサイトを見ると、どうもハチマキのことらしいようですが、はて、ハチマキ?
たぶんこのへんを読めればもうすこし詳しくわかると思うのですが…。)





2013年8月5日月曜日

ガルシア・ロルカさん

「じゃあ、やってみましょうか。」 と言った私のところにカルメンさんが持ってきてくれたのは、
"GARCIA LORCA Y LA ARGENTINITA" というCDでした。
「この曲集をやりましょう。」

聴いてみると、なんだか民族音楽のようなクラシックのような不思議に味のある曲たちなのでした。

何でも、ガルシア・ロルカさんが有名なフラメンコダンサー(歌手)のラ・アルヘンティニータさんと一緒に演奏した記録だそうで、フラメンコ文化にとって非常に重要なものである、ということでした。

Federico García Lorca en 1914 (Wikipedia より転載)




このCDではロルカさんはピアノを弾いてます。
「あれ?ロルカって詩人?、戯曲家?じゃなかったっけ。」
と思う方も多いと思うのですが、彼はピアノも弾き、詩も書き、戯曲も書き、イラストまでこなすという万能型才人だったようです。

(*えーと、伝記を読んだところによると、彼は大学生くらいまで本気でピアニストになろうとしていたのに、「もうちょっと堅実になれよ」 と,親が許してくれなかったようです。
ちなみに彼の親はキューバ独立で安い砂糖がスペインに入らなくなったことに目をつけ、大量の砂糖大根を領地に植えて、大もうけをしたという商売人でもあったようです。豆知識。)


CDの中で演奏されている曲は、スペインの南部地方に伝わる民衆歌、というのか、みんながどっかで口ずさんでいるような歌を集めて編集したものと書いてありました。なるほど。ロルカさんの作曲ではないんだ。

当時失われつつあった、”本当の民衆の魂を伝える歌”を復興するべく、ロルカさんはさまざまな活動をされていて、この曲集もその活動の一環であった、らしいです。、
(…そういうことをあまり意識すると、私なんかがふらふら演奏してええもんだろうか、とも思えてくるのだけれど、しかし音楽はふらふら演奏していいものだ、とも思うので、いいのだ、と自分に言うことにします。)

シンプルな曲がほとんどとはいえ、全部耳で起こして構造を解析するのは骨だな、と思ってたら、あっさり検索で楽譜が見つかりました。いいのかインターネット。

まあそのままやるだけだと、古典紹介をするだけになってしまうので、アレンジを交えて演奏・紹介してゆきたいと思ってます。

結局、自分が表現できるのは、その素材が自分にどう響いたか、であると思うので。